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2008年3月12日朝日新聞 私の視点

資格学校講師(中小企業診断士講座)

三好隆宏さんの記事の書き起こしです。





勝ち組、負け組ってなんだろう。

春先は入学や就職など、進路が決まったり決まらなかったりする季節である。

ゲームならルールがあて明確だ。sかし、われわれ「人」の勝ち負けに、世界共通の基準などあるのだろうか。勝ち負け--つまり成功の基準は、人によりさまざまなはずだ。同じ一個人でも時と場合によっては、違ってくる。

例えば、手術をしたが残念ながら亡くなってしまった患者の家族に、医者が「手術は成功でした」と言ったとする。医者にしてみれば「手術はうまくいったものの、助からなかった」と言いたいわけだ。当然、家族にそんな基準は受け入れられるものではない。それに、その医者が自分の家族の手術をして同じ状況になった時には、ちがう基準を用いるにちがいない。

唐突だが、私は資格の学校で講師をしている。

試験は合格が「勝ち」で不合格は「負け」。資格試験であれば、取得できれば成功、できなければ不成功。とてもわかりやすい。

ただ、これも試験そのものの基準であって、人を組分けする基準ではない。受験者はそれぞれ個別の事情や目標を持っている。受験に至るまでのそのような一切を評価するのは本人であり、他人がとやかく言う問題ではない。

では、どうして周りの評価や基準が気になるのだろう?それは、自分の中で成功の基準を持っていない、意識していない人が多くなっているのではないか。毎日の生活の中で、何が出来ればいいのか、どう感じることが幸せなのを、ちっとも考えなくなっているからではないか。

自分の基準が無いから、周りを気にする。他人と比べるから、勝ち・負けの発想に傾いてしまう。しかもその際、他人の基準を使うから、どうしたってストレスがたまるし、勝つよりは負けるほうが多くなる。

私自身、30代までは、周りの評価を基準にしていた。そしてあるとき「一生こうして生きるのか?」と考えたら、そもそも「自分はどう生きたいのかを、真面目に考えたことすらないことに気づいた。

その後、会社を辞め、独立もしてみた。再就職も何社かした。だが、たいして変わらなかった。今にして思えば、その時自分がやったことは、「まわりを変える」ことであって、肝心の「自分を変える」ことではなかったからだ。

40半ばを過ぎ「自分の成功基準を持つ」大切さに気づいた。生活の中に数々の成功基準を持つことで、一日の生き方は、どんどん意識的なものになる。例えば、朝早起きできれば成功、その後ジョギングをして、道すがら何か発見があればこれまた成功、気持ちよく仕事に行ければ大成功、夜仲間と飲めれば大大成功!といった具合だ。

我々は我々自身の「ゲーム」の主役だ。ルールは自分で決めて打ち込めば、毎日はスリリングで楽しいものになる。
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この記事のURL | 2008.03.15(Sat)00:36 | 未分類 | Comment : 00 | Trackback : 00 | 


 
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